歴史

「紅型」(びんがた)とは沖縄を代表する伝統的な染色の一つでその起源は13世紀頃と推定されていますが明確で はありません。当時盛んであった海外貿易により中国やインド、ジャワの更紗(さらさ)などの染色技法が伝えられ「紅型」が生まれたと言われます。「紅」は 色全般を指し、「型」は様々な模様を指しています、この定義をしたのは鎌倉芳太郎(かまくら よしたろう)と伊波普猷(いは ふゆう)とする説がありますが、大正13年に初めて鎌倉芳太郎が使用し、「紅型」の漢字表記が広く普及され始めたのは昭和期に入ってからとも言われます。 沖縄では「びんがた」とひらがなで表記する場合が多く、古文書には「型付」「型附」と書かれており沖縄の人々には「かたちき」と呼ばれていました。
琉球びんがたは、琉球王朝時代、王家や士族の礼服として魅了されていました。王家の衣装は黄色、貴族は水色、と階級によって色や模様の大きさで 区別されていました。また一般庶民は長寿のお祝いの時のみ着ることが許されていました。
沖縄は亜熱帯地域にあることから一年を通してほとんど季節感がありません。そのためびんがたの柄やデザインの中にも殆ど季節感が見られないとい うのも本土の染物と大きく異なる点の一つにあげられます。
ま た、沖縄に存在しない鳥や植物、雪など自然のものが古典の柄としてあるのは、琉球が薩摩に支配されていた時代に本土との交流の中で生まれたものです。ま た、黄色を高貴な色として用いたり、龍や鳳凰の絵柄がよく用いられるのはやはり大陸や中国の影響を大きく受けたものと言えるでしょう。